2020年12月31日を迎えて、今
2020年12月31日
ついに来てしまったこの日が
2019年1月27日の発表から約2年、あっという間に過ぎるだろうと当時からなんとなく思ってたけど
ここまであっという間に感じるとは。
最後の最後にこんなに大変なことになるとは。
誰も予想していなかったしできなかったし。
夜にはライブ配信が始まるわけで、そのあとはきっと感情の整理もできないだろうし
少なくとも記事なりに残す余裕なんてないだろうから、
今もまとまってないというか自分の感情が自分でわかっていないことに変わりはないけど
なんとなく残しておきます。
活動が再開したその日に、ああ、私はあの時こんなことを言っていたんだなあ
ってなるかもしれないし。
結論から言うと未だ実感はほとんどないです。
例えばVSのあのシーンで泣いちゃったりはしたし、迷宮ラブソングの魅力を再認識して
うるっと来たりはしたんですが、本当に実感が湧かなくて、
「そっか…最終回なのか…」となんか寂しいけど終わると思えない、信じられない感じが残ったまま30日まで来ました。
Twitterとかでたまに見かける「さみしくなってきた」みたいなのも、
私はあんまり実感がなくて、
『意外と大丈夫なのでは?』
『やっぱり2年間も与えてくれたことに感謝だなあ』
『休止、だし。私もちょっと一呼吸って感じだと思えるしな』
そんな感じで余裕をぶっこいて迎えた30日
本当に、急に、驚くほど急に実感が少し湧いて。
レコード大賞の特別栄誉賞の歌唱(受賞本当におめでとうございます)で
Love so sweetのイントロ部分終盤、
翔くんがカメラに向かって指をさした瞬間、
めちゃめちゃグッと来て
「ああ、私は2021年からこうやって、この瞬間に、歌ったり踊ったりする嵐を見られなくなるのか」
と急に思うと、とんでもなく寂しくなりました。
彼らの歌は残るし、いずれ再開してくれると私は信じているわけですが、
それでも、私にとっては約14年間毎年当たり前のように更新されていた「今の嵐」の姿が止まってしまうんだという事実が
一気に自分で感じてしまってどうしてもさみしいと思わざるを得なくなり、
声を上げて泣くレベルで泣いてしまった。
でも2年間という時間がなければこうやって少し落ち着きもあるまま
現実味を徐々に帯びていくようなこの状況を受け入れることもできなかっただろうし、
今日に控える配信ライブがなければこの日はただただ絶望の1日だったのかもしれないし。
いろんなことを、たくさんいる嵐ファンのひとりひとりに寄り添って、
先回りして考えて、全力で愛を与えてくれたから今日を迎えられたんだろうなと思うと
嵐ってすげえなあ…としか言えません。
嵐ファンがどうあるべき、みたいな考え方は好きじゃないので、
大多数はそうでないのかもしれないと思いながら私はこう書くけど
さみしいのは事実。
でもやっぱり嵐に対する大きな感謝の気持ちとともに、
どうかゆっくり休んでほしいという思いと、自分も一緒に振り返ってみてもいいのかもしれないと思うことも事実。
以前他記事で恥ずかしながら書き記した通り、小学4年生から追っている身として
今私は好きになった当時の彼らの年齢と同じくらいで、
小学校、中学校、高校、大学を卒業し、社会人になって今に至るわけで。
環境も考え方もいろんなことが丸っと変わっている中で
「嵐が好き」ということだけは変わらずあり続けてると思うと本当に面白いなあ…って。
こないだ先述の記事でも触れたオタ活にえらく協力的な父とも話していたんですが
本当にここまで飽きず応援し続けるとは思わなかったよねえ…って。
だいぶ大げさに言うと、「嵐が好きな自分」がもう軸にあったので
ブレようがなかったと言うか、嵐は好きであるのが自分にとっては当然の事実で
そのほかの自分を構成する要素が変わってるような感覚でした。
本当に、嵐が好きなこと以外は、何もかも変わったと言っても過言ではないほど変わったから…
だからこそ、軸にいた嵐が一時的であれ活動を休止すると言うのが考えてもイマイチイメージがつかないんだと思う。
14年間でいろんな人の歌を聴くようになっていたし、他に好きなアーティストができたり、
いろんな趣味ができたりしたわけだけど
本当に辛い時に聴く曲は嵐だし、曲を聴いて踊っちゃうのも嵐だし、家のHDDは常時嵐でいっぱいだし、
テレビの横には嵐と翔くんがずっと飾ってあるし、赤色は永遠にラッキーカラーだし。
櫻井翔さんは一生リスペクトし続けるし、なんならこないだ鍼灸院の先生に言われた
「頑張りすぎても死なないと思うの良くないぞ」見ないな言葉は
『やべえ櫻井翔の影響受けすぎじゃね私…?』と思ったりもした。
(いやもちろん翔くんは来年からもご活躍されるんだろうけど、嵐というグループ活動が前提にある翔くん、では一時的になくなるんだよなって)
こうやって書いてるとやっぱり実感ないなあと言う気持ちに戻ったりもします。
序盤で触れた通りお休みって大事だから、お休みは大事にしてほしい。
人は頑張りすぎて心がついていかなくなると本当に一瞬で崩れてしまうと
身を以て経験してしまったからこそ。本当に自分の時間や自分の気持ちは大切にしてほしい。
多分私は、その気持ちも大きいから「さみしい」と言ってしまうことにちょっとした遠慮というか
気が引ける気持ちがあるような気がします。言ってるけどね。
いや〜〜〜14年って面白いなあ〜〜〜
いやもっと長く応援している方もいるだろうし、私はファン歴論争は愚問であり苦手なトピックではあるんだけど
基本的に何事も長続きしない人が14年同じ人たち好きなのが本当に面白い。
応援のスタイルもちょっと変わったりしたけど
嵐ジオの話じゃないけど、やっぱりステージでキラキラしている嵐が大好きだし、
アイドルしてる嵐が最高に好き。
翔くんはずっと私の中で一番かっこいい人だし、小学生の私は本気で彼と結婚したかったくらいですからね?(笑)
(大丈夫流石に夢はとっくに醒めてる、大丈夫ですよ!!!)
私も20代も半ばですが未だいわゆる「アイドルっぽい」ことを言ったりするとしっかり大歓喜するし
かっこいい写真はずっと眺めてるから。
好きになったばっかりの頃を思い出すと本当に懐かしいし恥ずかしすぎるけど、
嵐の曲を聴いてると思い出せたりするから、一緒に歩んだんだなあって思うし。
きっと大丈夫を聴くと憂鬱だった車の中を今でも思い出すし、
Love so sweetかけて教室で花男のOPの真似して友達と手繋いでぐるぐる回ってたし
Happinessはロッカーの上で踊ったし(やめなさい)ステゴーは給食の時間永遠に流し続けてクラスメイトに怒られたし
TimeのコンサートDVDをスイミングの帰りに疲れて半分寝ながら取りに行ったのに結局夜更かしして
全部見てほぼ毎日見てたし
YesNo見て校庭で縄跳びぶん回してたし、ドリアラを弟にちょっと傷つけられて大喧嘩したし
10周年のコンサートまでにFC入れてってお願いしてたのに結局間に合わず大号泣したし
この頃かな?学校でも嵐の人気が出てきて当時の私はなぜか遠くに行っちゃう気がして焦ってたし
トラメはもうひたすら部活の友達と踊ってたし風景はやっっっとコンサート行けて
夜行バスで12時間かけて国立行って帰りの車は秒で爆睡したし……
ちょっともうやめとこうかキリがないな、風景まで行ったからよしとしよう。
とにかく、私の生活サイクルにはいつも嵐がいて、
私のご褒美はいつも嵐で、
私に最高のエンターテイメントを教えてくれたのは嵐で、
ずっとずっと大好きなのも嵐です。
それはこれからも変わらない。
「休止」
仕事・活動などを、一時休むこと。また、動きが止まること。*1
プレッシャーを与えてしまうことは本意でないから言いたくないけれど、もし、敢えて、
意図を持ってこの言葉を選んでいるのならば、
「休止」というのは基本的には「再開する」ことを前提にした言葉なので。
いつまでも待とうと思います。
これはあくまで、いったんの終わりで、いわばアニメの1期目の最終話みたいなもんでしょ、と。
2期制作設定を楽しみに待ってりゃあいい。
いっちょまえに前向きなことを言いながらどうせ配信終わってしまったらメソメソウジウジしそうだけど、
今まであまりに前に前にどんどんハイスピードで進んでいく嵐についていくので精一杯な時もあったから、
あんまりちゃんと見返す余裕のなかったDVDとか、番組の録画とか、いろんなものを見返したりするいい機会かもしれないよと、
2021年の私に言ってあげようと思います。
バスタオル用意しとかないと(笑)
とりあえず、今は、こんな感じです。
今日、無事にコンサートを終えられますよう。
嵐、いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。