きっと、大丈夫
櫻井翔バースデー記事を書いた際にいつかは書こうと思っていたこのお題。
全力でのっからせていただきます!!!☜
約10年前、小学生の私は小学生らしからぬハードな生活をしてました。
教育熱心な母のもと、毎日が習い事の日々でした。
小学校4年生の時には習い事6個とボーイスカウトを並行して継続していました。
週に3回や4回通っているものもあり、ほぼ毎日2個ずつ何かをしていました。
そんなスケジュールのだった私に遊ぶ時間はありませんでした。
楽しみは、移動の際の車の中や、晩御飯の時にちらっとテレビを見ること。
しかしこの生活をずっと続けていた私にとって、これが当たり前で、
これがまさに『普通』でした。
しかしそんな私も小学校中学年になり、これが普通でないことに気づきます。
周りの友人は放課後楽しく遊んで次の日に前日の話で盛り上がります。
習い事の日々の私は参加できません。
友人たちにもあなたは忙しいから誘えない、と言われました。
なぜ私は遊べないのか。なぜ他の子と違うのか。
考え始めた途端、すべての習い事が嫌になりました。
それからほぼ毎日、すべての習い事の行き道にぐずる日々。
小学校4年生には辛い日々でした。
母と口をきかない日々も続きました。
母は反抗期が来たと思ったそうです。
そんな時に出会ったのが、嵐でした。
何かの習い事の帰りだったと思います。
車にはテレビモニターが付いており、その日はちょうど、
MUSIC STATIONで嵐がきっと大丈夫を歌った日でした。
心身ともに疲れた私が、あのキャッチーな曲を聴き、
歌番組なのになぜかバスケットボールを持っている彼らになぜかやたらと惹かれました。
「かっこいい!」とはあまり思わなかった気もします。
当時彼らは『黄色い涙』仕様の見てくれで、どっちかというと
「なんかアイドルっぽくない」と思ったような気もします。
その日きっと大丈夫を聞いて以来、メロディーが頭から離れず、
芸能人なんて全く興味もなかった私は『嵐』というグループについて調べ始め、
櫻井翔というメンバーにたどり着きます。
もじゃもじゃ髪の毛に長めジャケットで歌っててむさ苦しいとか思ってしまっていた私ですが(☜おい)、
“慶應大学卒業”という経歴を見てかなり驚きました。
当時通っていた英会話教室に高校生クラスがあり、よく私立高校などで見る
【〜大学○名合格】という表示が小さいながらにも入り口横に掲示されており、
その欄の一番上に【慶應大学】の文字を見てどう読むのか先生に尋ねたことがあります。
もちろん名門校だということも聞いていました。
あれ、この人アイドルなのに、けーおー大学とか行ってたの?アイドルって大学行くの?
そんな興味深すぎる人がいるグループを調べれば調べるほどのめり込んでいき、
スイミングスクールと同じ建物に入っていたCDショップで嵐のアルバムを端から借りて
車のオーディオに入れ、習い事の行き帰りで聞く毎日が始まりました。
当時は今ほど有名ではなかったこともあり、芸能人に疎い家族で嵐を知っている人は
誰一人おらず、サザンやドリカム、SMAPくらいしか入っていなかった車のオーディオに
嵐が入ったことに違和感を感じたり、急に嵐のアルバムばかり借りてくれと言われ、
さぞ両親も戸惑ったでしょう。しかし少しでも娘が機嫌よく習い事に行くならというのもあってか
いつの間にか車の中で嵐以外の曲を聴く機会はほとんどなくなりました。
そして嫌だった習い事も、「〜から〜まで休まず行ったら次の新曲買ってあげる」
という母親のうまい誘い文句にまんまとのっかり、なんとか続けていました。
そして10月。
私の中のはてなはまた増えました。
え?アイドルじゃないの?キャスターなの?アイドルってニュース読むの?
私だけではありません。今まで私が応援していようが特に関心を示さなかった父親も、
「え、嵐の子なの?キャスターするの?」
と一緒になって驚いたのを今でも覚えています。
そして彼の凄さを知ります。
学校とアイドル、キャスターとアイドル、
子供ながらにも、両立は大変なのではないかと思いました。
そして自分と重ねました。
ああ、この人はこんなに爽やかな顔で歌ったり踊ったりお芝居したりバカなことしながらも
知らないところで勉強してたりしてたんだな。
と思うと、単純なのかもしれませんが、自分も頑張らなきゃ、と思うようになりました。
と同時に、櫻井翔という人を心から尊敬するようになりました。
もちろん、外見がかっこいい!も好きでい続けた理由です。だってアイドルやん☜
木更津キャッツアイのワールドシリーズが公開されて過去の作品もちらっと見て
うげえええバンビかっこよおおお!!!ってなったのももちろん。☜
でもなんとなく、それだけだったら今までファンじゃないんだろうなって思います。
先日のブログでも綴った通り、今になって、成人を迎え、
改めて櫻井翔という人を凄いと思います。
彼を、嵐を応援していてよかったな、と思うとともに、
あの時に彼らに出会っていてよかったとも思います。
お題から逸れますが、
あの時彼らに励まされ、「嵐のファン」という息抜きの趣味ができ、
結局小学校を卒業するまで、習い事は一つもやめませんでした。
中学に入るタイミングで一旦整理し、部活動を始めることを考慮し数は減らしましたが、
それでもピアノは高校2年まで、英会話は高校卒業まで続け、
その英語は今大学の専攻となっています。
小学校卒業まで何も辞めずに続けたことを今でも胸を張って言えますし、
もちろんそのおかげでたくさんのスキルもついたと思います。
そして口をきかなかった母や私が嵐のファンになろうが我関せずだった父も
留学中
「嵐のアルバム出るみたいやけど、買っときましょうか?」
「なんか初回盤とよいとこ盤っていうのあるんやけど両方?」
「特番録画しといたよ〜」「容量足りなくなりそうだからダビングするよ〜」
というLINE。。。
父親も数年前嵐のCDやDVD、雑誌で溢れかえる私の部屋を見かねて
寸法を測ってCDもDVDも雑誌も綺麗に収まる棚を作ってくれたり、
うちわに使う発泡スチロールが上手く切れないというと仕事用の糸鋸で完璧に仕上げてくれたり
スーパー協力的です(笑)
2008年以前の嵐の曲を聞くと、どれを聞いても少し泣きそうになったりします。
それぞれに、必死だった私が救われた思い出があるからです。
嵐好きになってよかったなー。
そしてそう思える今があってよかったなー。
なんて思いながら、
、、、
V6のアニバコンのDVDを見ます。(笑)
V6との出会いは…まあまた今度。